ル ル ド で の 祈 り

ロバート・ディーターズ神父 


 

 晩でした。150年前に南フランスのルルドで聖母マリアが少女ベルナデッタに現れたグロット(奥行きの浅い洞穴)に、私が立っていました。聖母マリアは3週間の間にベルナデッタに18回現れ、罪びとのために祈り、苦行をするように呼びかけました。

  そこに立った私は、センターの信者の意向をメモしていた80枚あまりの小さな紙を手にして、1枚1枚めくって祈りました。「母マリア、私たちのために祈ってください。イエスの聖心よ、あなたは私達の救いです」。紙に書かれた意向に加え、中国のカトリック信者の間に平安、心の一致、友情の恵みが与えられるように祈りました。一緒に巡礼に行っていた布川??さんも、祈りの意向が書いてある手紙を手にしてグロットに来ていました。

  ベルナデッタに現れた魅力あふれる若い婦人は、青い帯を締め、白い衣を着ていました。はだしの足には金色のバラがついていました。相談を受けた神父はベルナデッタに、「その婦人の名前を聞いてください」と言いました。ベルナデッタが尋ねると婦人は、「私は無原罪(の宿り)です」と答えました。そのグロットにあるマリア像を眺めながら私は、150年前のベルナデッタの体験を想像しながら祈りました。「原罪なくして宿りたまいし聖マリア、我らのために祈ってください」。一緒に日本から来た巡礼団の方もグロットの前で夜じゅう、祈っていました。

  初めてルルドに来たのに、私は以前何回もここへ来たような感じがしました。子どものころ家族と一緒に通った教会の庭にルルドを模して石で作ったグロットがありました。2年間通ったノートルダム(わが婦人マリア)大学のキャンパスにもグロットがあり、キャンパスの食堂から帰る途中立ち寄り、祈っていました。毎年国際ミサのある東京カテドラルにも、ちょうどセンターが水餃子の模擬店を出す後ろの庭にルルドのグロットと同じ大きさのものがあります。また上野教会聖堂の左側にも、マリア様と出会ってお祈りしているベルナデッタの等身大の像があります。このように少女ベルナデッタを通して全世界でマリア様の取次ぎを願う場所が多くなりました。ルルドだけで毎年600万人が巡礼に来るそうです。巡礼者の中には車椅子や担架で運ばれてくる人々、心の傷を持っている人々が多くあります。奇跡的に体が治ることもありますが、魂は必ず治ると言う評判があります。聖ベルナルド(ベルナデッタの洗礼名の聖人)の有名な祈りにあるとおりです。「・クえて御取次ぎを願える者、一人として捨てられしこと、いにしえより今に至るまで、世に聞こえざるを思い給え」(=あなたの御取次ぎを願うものが、かつて誰一人捨てられた者のないことを思い出してください)。

  ベルナデッタがマリア様に言われたとおり、グロットの前のぬかるみを手で掘ったところから泉が沸き出てきました。今も150年前から止まることなく流れ続ける泉があり、その水をビンにいれて帰る人が多いです。私も店で小さなビンを100個求め、その水を詰めてお土産に持って帰りました。祈りの意向を頼まれた信者に差し上げたいと思います。
  湧き出る水に入る浴所もあります。私も布川さんも入りました。ボランティアの方に手伝われて、まずお祈りして自分の意向を思い出してから全身入りました。冷水ではないが、かなり冷たいです。その水をかぶり、顔を洗い、少量を飲みます。私が祈り求めた恵みは「泉のように沸いてくる、生ける信仰」です。

  泉の浴所の待合室で車椅子に座っている中年の男性もいました。黙っていました。その真剣な表情から判断して、お祈りしているのだろうと思われました。私が浴所を出た時、その男性も親戚か友人に車椅子を押されて出てきました。今度は大声で笑っていました。彼の笑い声が止まらず広場に響いていました。何があったのでしょうか。

  私たちの巡礼団は、ルルドからベルナデッタが成人して入会した修道院を訪ねました。彼女は35歳の若さで亡くなるまで、その修道院で隠とん生活をしました。子供のころのコレラや持病のぜん息のために体の弱い方でした。修道院では病人の世話をし、地味な仕事ましたが、最後に自分自身が病床に着き、最後の4ヶ月、重度の結核に苦しみました。彼女の日記にこう書いてありました。

 イエスが私に伝えました。「あなたはすべてをイエスに犠牲としてささげきらないうちには死なない…。
  死を迎えるとき、あなたの唯一の慰めは十字架につけられたイエスのみとなる。墓につくときは、信頼している友イエスのみが一緒に行く」

 Jesus has told me that I will not die until I have sacrificed all to Him・nd has often told me that when it is over, at the hour of death, he alone, Jesus crucified will console me. I will carry only him, my faithful friend, to the grave.

  私はその修道院の聖堂にあるベルナデッタのグラス張りの棺おけの前に立ったとき、この言葉を思い出しました。百年以上前に亡くなったベルナデッタの顔は静かに眠っているようで、腐敗していません。復活したイエスによって私たちも復活すること、その信仰を深めてくれるしるしだと思いました。マリア様が少女ベルナデッタに伝えた言葉には、「一人残らず、イエスの十字架と復活にあずかり、すべての人がイエスとともに復活するように祈り、そのために苦行をしなさい」とありました。少女は短い一生の間、そのような生き方をしました。そうして1933年、列聖されました。 

  今年はマリア様がルルドで少女ベルナデッタに現れてから150年目です。イエズス会中国センターにおいても記念の多い年です。上野教会主任司祭の岩橋淳一神父様の司祭叙階40周年でもあり、私自身の司祭叙階50周年です。それを記念するために6月22日(日)に感謝ミサを予定しています。そしてセンターの設立者であるコシーニ(Cochini)神父様が中国宣教師となるためイエズス会に入会してから50年目でもあります。今年の夏、センターではコシーニ神父様を迎える予定です。

  復活祭に当たり、センターのスタッフを代表して、「友誼の声」読者が聖ベルナデッタ、マリア様と共に次の聖書の言葉を味わい、体験することができますように祈ります。

   「洗礼によってキリストとともに葬られたのです。そ れは、キリストが…復活させられたように、私たちもまた、新しい命に歩むためです」(ローマ6・4)

   「生きているのは、もはや私ではなく、キリストこそ私の内に生きておられのるです」(ガラテヤ2・20)

   Happy Easter!

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