中 国 教 会 巡 り : 北 京 地 区

編集部


 

 皆さんに中国の教会を知っていただくため、「中国教会巡り」の連載を始めたいと思います。

  今回は首都「北京」をとりあげました。次回は「上海」を予定しています。大都市を中心にご紹介する予定ですが、ご興味をお持ちの「街」がございましたらご意見をお寄せください。また、皆様が観光で訪れた「教会」の情報や写真、体験談もお寄せください。「中国教会巡り」で紹介させていただきます。

第1回 北京地区

その歴史

  北京地区では、10世紀ころのネストリア派(景教)の遺物が発見されているため、その頃「キリスト者」が存在したと考えられている。 1294年には、フランシスコ会士 モンテコルビーノのヨハネが北京に到着し、カトリック共同体を作った。1307年、に教皇クレメント5世は彼を大司教に任命した。

  明朝(1368-1644)の下でフランシスコ会のミッションは消滅した。1601年、イタリア人イエズス会士マテオ・リッチが北京に到着し、カトリック共同体が形成された。キリスト教は公認されていなかったが、イエズス会士たちは、その科学的貢献によって、北京での滞在を許可されていた。アダム・シャールに続いてフェルディナンド・ヴェルビエストが、北京では「天文学局長」を務めた。

 1684年に北京にやって来たフランス人イエズス会士は、1693年に北堂を建設した。1世紀後、ラザロ会士マテオXueが、解散したイエズス会の宣教地を引き継ぎ、1820年に、その地域の責任者となった。しかし、2~3年後に、北堂は政府に没収され、マテオXueは蒙古のXiwanziに移り住んだ。

  植民地の圧迫されていたカトリックの信仰は、1860年の北京条約(宗教の自由を保障)によって、保護されるようになった。そして、北堂のMouly(孟振生)司教は各修道会の助けを借り、教会活動を活性化させた。1900年にはBoxers Rebellion(義和団の一員)が北京の多くの教会に放火したが、3000人の信徒が避難していた北堂は難を逃れた。

 20世紀前半に、Furen大学創立、北堂の印刷所創設、多くの教育施設や神学校の設置とあいまって、北京はカトリック教会活動においても、学問・教育においても、その中心の役割を果たすようになっていた。

 1949年以後、カトリック共同体はまたしても「独立」、「帝国主義への闘争」の名の下に、多くを失うこととなった。その後、活動を続けていた教会も、1966年には、文化大革命(1960年代後半‐1970年代前半)によって閉鎖された。1971年に最も早く活動を再開したのは南堂でしたが、それは外国人のためだけのものだった。 1978年以降には、中国人カトリック信者も公に信仰を表すことができるようになり、北京の諸教会もその活動が再開された。

今日の教会

  今日では、北京のカトリック人口は約40,000人と言われている。市内には5つ、北京近郊にも6つの教会がある。大神学校は2校ある。

北京の4つの教会堂

北京には東西南北に4つのカトリック教会があり、それぞれ北京北堂、北京東堂、北京西堂、北京南堂と呼ばれている。

北京北堂(サルバドル堂) 聖フランシスコザビエルに捧げられた教会
北京市,西什庫大街 33号  TEL.010-6617-5198

北堂は、北京でもっとも大きなカトリック教会である。 病に臥していた康熙(こうき)帝(てい)(1654~1722)は、イエズス会宣教師たちが献上した薬によって健康を回復したため、その返礼としてイエズス会士にこの土地を与えた。1703年、イエズス会士がその地に建設したのが「サルバドル教会」(北堂)である。もともと現在の国立北京図書館の斜め向かえ側にあった。現在の建物は(北京市西什庫大街 33 )1887年、清の宮廷を拡大するためそれまでの土地が没収された後に、移転再建設されたものである。 典型的なゴシックスタイルで、北京でも指折りの建築物の一つとなっている。

北京東堂(聖ヨゼフ堂) 聖ヨゼフに捧げられた教会
北京市,王府井大街 87号  TEL.010-6524-0634

北京四堂のうち、王府井の教会は東にあるので、東堂と呼ばれている。1655年に造られ、3度の破壊を経て、1905年に今日の姿になった。1960年代の文化大革命時代(1960年代後半‐1970年代前半)には紅衛兵によって内部が破壊されたらしい。

NHKの海外ドラマ「北京バイオリン」の最終回ラストのシーンで評判を得た建物でもある。現在は待ち合わせ場所として多いに利用されている。

北京西堂 カルメルの聖母に捧げられた教会

北京市,西直門内大街 130号  TEL.010-6615-6619

西直門内大街(道の名)の南側に位置する。北京の東堂、西堂、南堂、北堂の中で、一番新しい教会である。1723年に建てられ、その後、破壊されたが、1912年に修築され、1994年12月23日、政府はその建物をカトリック教会に返還した。隣は大きな製薬会社で、その建物が張り出しているため、観光客は見落としやすい。優美なコリント風の柱とゴシックのアーチ型の天井からなる雄大で秀麗な内部は必見である。

北京南堂 無原罪の聖マリアに捧げられた教会
北京市,宣武門内,前門西大街 141号  TEL.010-6603-7139

南堂は北京の教会堂の中で、最も古いものである。 マテオ・リッチが明朝の万暦帝の在位33年目の1605年に、この場所に小さな教会堂を建設した。規模が小さかったため、1610年により大きなものに改築された。この建物は、素朴で目立たないものだったが、北京でのキリスト教宣教の始まりを記すものであり、民衆には「天の主の殿堂」(天主堂)として知られるようになった。

南堂は文化大革命の時期(1960年代後半‐1970年代前半)閉鎖されたが、1971年には、海外の駐在の外交官、訪問客、及び海外からの中国人のためにだけ、宗教的礼拝祭儀がおこなわれるようになった。また、1979年から、正式に教会としての活動が再開されている。

聖ミカエル教会
北京市,長安街正義路南交民巷

北京の4つの方角を表す名をもつ教会堂のほかには、この「聖ミカエル教会」がある。1902年に建てられたこの教会は、かつての租界地に位置する。当時この地域は、各国の在中大使館が密集している地域で、この教会も、そこで働く外国人カトリック信徒のために建てられたものである。1958年に閉鎖され、文化大革命の間は(1960年代後半‐1970年代前半)小学校の倉庫として使われていた。1989年12月23日に、再びカトリック信徒の手に戻された。

おわりに
北京へ観光に出かけると、故宮、天安門、盧溝橋、園明園、万里の長城など、雄大な中国の歴史を語る文化財のすばらしさとその莫大な量に誰もが圧倒される。どんなに時間があっても観光しつくせない街が北京である。しかし、そんな北京の中に、見落とされそうなほどわずかであっても、「カトリック教会」が刻んだものと、そこに生きた中国のカトリック信徒がいることを忘れてはならない。私は、ここで紹介した教会堂に入り、人々と共に祈る時、ヨーロッパの伝統的な教会を訪問する時とは別の深い思いに駆り立てられる。何度も閉鎖され、あるいは破壊されながら、それでも、現在、教会として生きているのである。

現在、ドラマの舞台となり、記念撮影や待ち合わせの場所としても若者に知られている教会堂であるが、かつて、そこで、宣教師を始め、多くの人々が命をかけて「信仰」を求め、「信仰」を生き、喜びや悲しみの儀式を行ったことはまぎれもない事実である。そして、今日も多くの子孫たちが、その信仰を受け継いでいるのである。

観光の合間に「聖堂」に立ち寄り、祈りながら、彼らの息吹を感じてみてはいかがだろうか?

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